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フッメル

当店にはフッメル人形をたくさん揃えておりますが、最新のものや特別ご提供品のみWebpageでご紹介しています。

フッメル 1

フッメル 2

 

hum 451

 hum 12

 

フッメルの標章 (フッメル人形の製造年がわかります)

 

hummels marks

 

オリジナルのフッメル人形にはほとんどのものに標章があります。

更に、底面に書かれたロゴで、フッメル人形の大よその製造年がわかります。

ほとんどのフッメル人形はフッメルマークに加えて作者のサインがあり、また、製造年を示す2桁の数字が入っているものも多いです。

 

フッメル人形の製作工程

 

creation process

Clay model: 粘土で型作り、Cutting into parts: パーツを切り分ける、Production of Plaster moulds: 石膏の鋳型を作る、Pouring of liquid slip: 液状粘土を流し込む、Figurine parts: パーツの完成、Assembling: 組み立てる、Drying: 乾かす、1st Firing: 1回目の焼入れ(1140℃)、Glazing: 上薬を施す、2nd Firing: 2回目の焼入れ(1080℃)、Decoration: 装飾を施す、Decor Firing: 焼き冷まし(650-840℃)

 

 

マリア・イノセンティア・フッメル: ある芸術家の遺産

フッメル人形はドイツ南部の磁器工場である "W.ゲーベル" にて製造されています。"フッメル" と言うブランド名はマリア・イノセンティア・フッメルと言う芸術家にちなんでつけられました。彼女の独創的な画法で磁器人形に絵付けをしています。以下にマリア・イノセンティア・フッメルの一生を簡単にまとめました。

1909年5月21日: ベルタ・フッメルがドイツの Massing an der Rott で商人アドルフ・フッメルの7人中3番目の子どもとして生まれました。 彼女の芸術面での才能は幼少時代から現れていました。彼女はよく先生や同級生の似顔絵を書きました。

1921-1926: Simbach am Inn にある、少女のために設立された "Marienhoehe" で、ベルタ・フッメルは徹底的に芸術の授業を受け、その創造的な才能はどんどん鍛えられました。ある先生は、彼女に、ミュンヘンにある応用芸術学院(Munich Academy of Applied Art)に入学するよう薦めました。

1927-1931: ベルタ・フッメルは1927年の夏、Maximilian Dasio や Else Brauneis、F.Wirnhieris らの保護の下、その学院に入学して勉強を始めました。

学院に在籍中、彼女は静物の表現や肖像画、自画像などあらゆるジャンルにおいてすばらしい作品を創り出しました。ベルタ・フッメルは学生時代に、自分の芸術的才能を伸ばしただけでなく、将来の進路も決定しました。彼女は、Wuerttemberg の Siessen にある修道院からきた二人のフランシスコ修道院のシスターに会いました。彼女たちも、同じ学院を修了していました。

美術における芸術的独創性は、修道院の人々を勇気付けました。彼女とシスターたちとの友情や、彼女が将来作り出す宗教と芸術をつなぎ合わせた作品は、修道院に入る決心をしたきっかけになりました。

1931 - 1934: 1931年4月、ベルタ・フッメルはクラスでトップの成績で卒業し、修道院に入りました。1933年8月、彼女は修道生活に入り、シスター・マリア・イノセンティアという名前を貰いました。彼女の修道生活は、1934年8月30日まで続きました。

修道院での彼女の仕事の中に、修道院の中にある学校で絵画の授業を受ける、と言うものがありました。彼女は子どもたちに愛情を注ぎ、それが彼女の絵に現れてきました。例えば子どもたちが遊ぶ姿、これは彼女の幼少時代の友だちを描いたものです、とか、修道院の庭に遊びに来た子どもたちを描いたりしました。これは彼女の独特な画法になりました。彼女の作品を最初に取り上げた展示会は多くの人が興味を持ちました。

そして、出版社がすぐに彼女に連絡を取りました。出版社が彼女を取り上げたおかげで、フランツ・ゲーベルは彼女の作品を知りました。彼の会社の熟練彫刻師であるレインホールド・アンガーとアーサー・ミュラーとともに、彼女の作品を基にした人形の試作を始めました。

最終的に、フランツ・ゲーベルは彼女と、その修道院長と面会しました。ゲーベル社が彼女の作品を三次元化し、製造し、販売する会社として排他的権利を持つと言うライセンス契約が結ばれました。

1935-1946: 1935年に開催されたライプチヒの見本市でゲーベル社は初めてその人形を出展しました。そして、このことが、国際的なサクセスストーリーの第一歩となりました。彼女の芸術作品を守る最終決定権を持つ修道院とのライセンス協定を確実に遵守するために、シスター・マリア・イノセンティア・フッメルはゲーベル社の工場を訪れました。そこで彼女は、二次元の紙の上に描いた作品から作られた三次元の人形も彼女の満足がいくものになるように、ゲーベル社の芸術家たちと働きました。

残念ながら、この偉大な女性は、短い一生を終えることになります。1946年11月、彼女は37歳の若さで結核のためこの世を去りました。幸運にも、彼女の紙から授かった才能は、マリア・イノセンティア・フッメル人形の中に今も宿っています。当時と同じく今でも、芸術作品として完全なものを作るために、マリア・イノセンティア・フッメル人形は1つ1つ手作りです。

芸術家たちの製作チームと経営スタッフ陣は、開発中の段階で新しいモデルを修道院の専門家チームに提出し、承認を貰います。マリア・イノセンティア・フッメル人形は、気ままに過ごした幼少時代のシンボルとして、多くの人にたくさんの幸せを運んでいます。